私は大学病院では無いですが、地方の公立病院で働いていました。めちゃめちゃ忙しかったのと、強制的に仕事の後に勉強会とかあり、スーパーも夜8時で閉まるのに、8時回ったりして、帰っても食べるものもないし、寮の冷蔵庫も壊れてて、卵とかも置けないので、いつもお茶漬けとか、お昼はおにぎりでした。。そんな生活が嫌で辞めて地元に帰ると親に言ったら公務員なんだから辞めるのはダメと怒られました。父の友達の病院で働いてたのを受かったからとやめたので、父も反対してたんですが、私がご飯食べれん日が再々あることや、喘息がまた起こりかかってる事を言うと、父は分かってくれて辞めて帰りました。その後、色んなとこに面接した際、1箇所で5年居てまずまずの評価、この1年っていうのは何故?とやはりなぜ公務員辞めたと不審な感じで聞かれました、なのでなかなか次が決まりませんでした。子供の大学受験があり、お金もいったので、少々しんどくてもと、施設に就職しました。そこではリザーバーの生食ロックも器官カニューレの交換も看護師がしてました。ビックリしましたが、生活のため子供達が大学卒業するまで働きました。私はシングルなので、私立の大学に2人を通わすのは、前期110万後期110万と2人が重なったらしんどかったんです。ブラックだと分かってても、辞めるに辞めれませんでした。しかも忙しくて、お昼を食べたければ上手に工夫しなければお昼5分で食べて仕事なんてこともあり、かなりハードでした。しかもALSの患者さんも多く、呼吸器の人のお風呂はいつも私でしたし、呼吸と合わなかったり、酸素濃度が上がらなくなって、ホットから中央配管に繋ぎ変える時など、良く電話かかってきたり、行かされたりしました。でも、頼りにされるのは心地よく、頑張れました。でも、子供が卒業した時、カニューレの交換も看護婦がやってるのが家族にバレたようで、私が休みだったからと、いつもは私がやってると言われ、主任でもないのになぜそんな責任を?と思い退職届け出しましたが中々受理されず、半ば強引に辞めました。その後の職場はその時の年俸から言うと半分もないくらいでした。しかも昇給もなく。でも、外来で先生がすぐいるということに安心感があります。しっかり昼休みもとれますし。月に1回しか先生が来ない施設でしたので、バルーン式のペグも変えてましたし、こわごわでした。私がいた時はなんの事故もなく出来てたのですが、この後先生が月2回来てカニューレも変えてくれるようになったようです。先生がやってくれるのなら、あそこで居たら良かったなとは一瞬思いましたが、今の外来は人間関係も良く、お金は安いけど楽しいです。良く3年はと言いますが、仕事を覚えるのに3年で、病院を変わる時は5年単位で見てる様な気がしました。